寂しさや後悔は懺悔すべきで責めるものではない
若い有名な俳優さんが亡くなった話が続いて、会ったこともない人だけどどこか身近で、あちらこちらから記事が目に入ってくるたびに寂しさとかつらい気持ちがチクチクしていました。
適当な吐き出しなのでそういう話嫌でない人だけみていただければ。
どうして自死してはいけないか、という質問にいつまでも答えが出ないでいます。よく、「残された人達が悲しむから」と言われますが、死してなお人のために生きるよう言われなければならないのかと残念な気持ちになります。子供は仕方ないと思うけど、他人を悲しませないために耐えて生きないといけないんでしょうかね。死ぬほどつらかった人を救えなかった人たちを悲しませないため?
まぁ、ただのひねくれものなんですけど。
だからといって救えなかった人の事がどうとかが言いたいわけではありません。それが友達でも家族でも恋人でも救えない時は救えません。そんな頻繁に周囲で起きることでもありません。本気で死ぬ気の人間がどう生きているかわからないです。
私も、そんな救えなかった人の1人でした。こういうニュースを見るたびに考えます。彼女の悩みはどうしたら解決できたのかなぁと。最後に会った、学校で笑顔で別れた日の記憶ですべてが止まっているけれど、あの時既にいっぱい悩んでいたんだろうな。本当に私は何もすることができなかったし、今もできる気がしない。
そして、あんなに良いご家族に「どうして周りの人たちが…」なんてこと言えない。
どうして自死したらいけないのか。何を聞いても生きている人間がつらくならないための意見にしか聞こえないのだけれど、でも明るくて素直で優しいあの子がつらい時を乗り越えていたらきっと今ちゃんと家庭を持っていいお母さんしてそうだなぁと思うのです。